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         2016年2月27日、会員の故中西豊子さんの海洋葬による散骨を行いました。
         場所は三重県鳥羽市答志島沖でした。
         中西さんは、遺産のすべてである7,000万円を東日本震災の復興に寄附、自分自身の遺体は医学の進歩にと献体
         葬儀は行わず広い海原に舞い、のびのびと眠りたいというのが遺志でした。

         彼女は、海洋葬を営む(株)風に生前申し込まれておられましたので、遺志を受けて行いました。


               出発前。今回は3人の遺骨が。


              中西さんの希望は菊の花でした。

                                           希望の花に囲まれて散骨されます。



             散骨。安らかに、そして自由に。


              菊の花といっしょにドボルザークの「新世界」に送られて。
                                           生前中西さんが希望された曲だそうです。


            

         紘基会会員であった 中西豊子さんの遺志を伝えたく、ここに記録します。


 
紘基会員であった中西豊子さんが今年522日にお亡くなりました。89歳でした。
毎回議会傍聴に来られておりとても政治に関心の高い女性でした。生涯独身だった彼女の遺言は「遺産のすべてを被災地大槌町のこどもへ」ということでした。 彼女の遺志に従い、遺産の7000万円は大槌町奨学貸付基金として子どもたちの進学資金など教育環境を整える資金として使われます。そんな訳で103日~5日に大槌町へ寄付目録贈呈式に行って参りました。遺言執行者の一人である紘基会事務局の奥宮と記録係として三遠テレビの丸山さんの2人が同行しました。当地では碇川町長をはじめとして教育委員長、それからたくさんのマスコミ関係者が私たちの到着を待っていました。
    贈呈後は、大槌町の小中学校を訪問しました。大槌町の中学校、小学校のすべてがここに統合されプレハブで建てられた校舎に700人が通って
   いました。マイクロバスで1時間かけて通う生徒も少なくなく、復興はまだまだでしたが、子どもたちの明るい元気な声が校内に響き渡っており、
   その声に心休まりました。
   この地のこどもたちの未来に,中西豊子さんの「志」が大きな救いになることは確信しております。
                         
   壊滅的な災害を被った大槌町は、復興を急ぐ地域もあれば、井上ひさしの小説で有名になった吉里吉里のまちはほとんど被災当時のまま、消えた
   町となっていました。
   現在の役場は,大槌小学校だった建物を改築されたものでしたし、職員も全国から派遣された職員でまかなわれている部署も少なくなく、被災の
   凄さを痛感しました。 

   中西さんの口癖は「愚痴を言ってるだけではダメ!行動しなくては。」でした。

   この思いはこの地において生き続けることでしょう。

   岩手県大槌町訪問の様子は以下のサイトからご覧になれます。
                http://www.sanen.jp/kokikai    

                                                                       
平成25年12月4日、東日本震災から1000日が経った。進まぬ復興。
しかし、同年10月4日紘基会会員の方の遺言で遺産の寄附を岩手県
大槌町に届けたとき小学校を訪問。
学校は暖かく我々を迎えてくれた。(写真)
元気な子供たちの声が校内に広がっていた。逆にこちらが元気をいただいた。
がんばろうね、日本!






   
        













     
      以下はマスコミへの案内文です。

   

東日本震災被災地へ寄付についてお知らせ

          故中西豊子さん(紘基会会員)の遺言に基づき岩手県上閉伊郡大槌町奨学資金貸付基金として遺産のすべてを寄付することに
           なりましたのでご報告いたします。

            寄付金額は 7,000万円です。
            つきましては紘基会会長の、私こと寺本泰之は104日午前10時より、彼女の遺志に基づき寄付目録を大槌町、町長碇川豊様
           に贈呈しますので、あわせてご報告いたします。

           平成25930

                                豊橋市議会議員 紘基会(一人会派)   寺本 泰之





         故中西豊子さんについて
         大正13816日生まれ、平成25522日 89歳で亡くなられました。すい臓癌でした。
         彼女の遺志で遺体は献体され、遺骨は散骨されます。山形県酒田市に看護師として働き、実母を、亡くなる100歳まで
         介護をしておりました。
生涯独身で家族はいません。
       
        酒田市に家を立て一人暮らしをしていました。平成22年、甥夫婦が暮らす豊橋へ移転しましたが、ケアハウスに入居して暮らしていました。
        政治に大変関心が高く、豊橋市議会定例会を全て傍聴し、積極的に講演会等に出席していました。豊橋市にも物申していたようです。
        生前の大宅壮一氏に看護師として勤めたことがあり、そこでの経験が影響されたようです。

        翌年(平成23年)、寺本泰之が会長を務める政治団体「紘基会」に入会。寺本の強い支援者でした。寺本が開く議会報告会にはすべて出席し、
        政治活動に積極的にも参加しました。
亡くなる前日に病院に見舞いに行きましたが、そのときも豊橋市の行政についていろいろ話しておりました。
        
        彼女の口癖は「愚痴を言ってるだけじゃだめですよ。それから先が大事。行動しなくては。」でした。随分他の会員の尻を叩き行動を喚起させ
        ました。
寺本には、彼女が入会したときから山形の土地や財産について相談がありましたが、すい臓癌が見つかり余命いくばくもないことがわ
        かったとき、遺言執行者を立てて手続きをすることになりました。遺言執行者には紘基会事務局を努める奥宮芳子が、それまでいろいろな運動
        の中で懇意にもなっており親しい関係であったことから、なりました。また当会会員の行政書士もなり、二人が遺言執行者になっております。

        彼女の遺志は、「遺産のすべてを子どもたちのために」でした。子どもに限定して使われることを強く望んでおりました。
        彼女は、豊橋市が平成24221日に河田関西大学教授(中央防災会議専門委員会座長)を招いて開催した講演会に参加し、そこで教授が
        触れた大槌町の被災の様子を聞き、大槌町の子どもたちを特に気にしていました。大槌町の奨学基金に寄付することが決まったときは喜んでお
        りました。私たちも、こういう形で大槌町のみなさまと絆ができたことを大変うれしく思っております。


        既に5,000万円を大槌町に送金しました。残る2,000万円は土地・家屋売買の手続きが(2ヶ月の担保が済み次第)終わり次第送金致します。
        彼女に「大槌町に行って目録を渡してきてください。そして、しっかり大槌町を見てきてください。」と言われております。そんな訳で伺いました。
        私たちのために時間を割いていいただき、心より感謝申し上げます

         平成25年10月4日                            豊橋市議会議員             寺本 泰之(ひろゆき)